岩崎学園のあゆみと
これから
-1927
横浜洋裁専門女学院(現・横浜fカレッジ)設立
―女性は結婚し家庭に入ることが常識の大正時代、当時10代であった創立者岩崎春子は、都会の裁縫学校に進学し職業婦人としての道を歩みだす。大半が輸入品であった布地がそろい、舶来文化で活気あふれる横浜の地に魅せられ、20代半ばという若さでこの学校を築いた岩崎春子の原動力は、女性はみな着物姿という時代ながら、必ず洋装が普及するという確信だった。

-1949
横浜西口の振興をめざしファッションショー開催
-1950
神奈川県下唯一の服飾専門誌「モード」創刊
-1954
横浜洋裁専門女学院から横浜洋裁学院に改称
―終戦後、校地の接収で移転した校舎が横浜の地に戻ったとき、学園は地域の発展を図ることに尽力した。当時の横浜駅西口は商業施設も無く閑散としていたが、1954年の区画整理と国体開催により繁栄が急速に進む。60年代にかけ大型商業施設が次々に建ち、一大商業地区へと変貌を遂げていく。

閑散とした風景の右手に校舎が映る。
-1975
岩崎学園附属幼稚園開園
-1976
岩崎学園附属磯子幼稚園開園
―華々しい経済成長を遂げた1970年代。高校・大学への進学率上昇に伴い、知識偏重の早期英才教育がブームとなる。子どもたちに必要なのものは、知識の詰込みでなく、集団のなかで生きる知恵―、岩崎学園はそのブームに問いかけ、健全な身体と知恵を育む理念を掲げた幼稚園を相次いで開園する。 後に「いじめ」問題のクローズアップによりこの理念は評価を高めていく。

-1980
岩崎博物館[ゲーテ座記念]開設
―岩崎学園の創立50周年事業として、わが国の近代演劇発祥の地といわれる「ゲーテ座」跡地にその面影を残した形で完成した岩崎博物館は、横浜の文化発信の場として、まさに創立時から受け継ぐ「地域還元」の理念を象徴した施設となる。後1982年には横浜臨海部開発計画「みなとみらい21」がスタートし、横浜地区は観光地としてさらに賑わいを増す。

-1981
情報科学研究所開設

いち早く市民に伝えた。
-1982
岩崎ともみ 理事長就任
-1983
神奈川県下初のIT系専門学校として
情報科学専門学校開校
―高度成長期と共に重厚長大産業を一手に引き受けてきた京浜工業地帯は、円高で多くが撤退し産業の空洞化が進む。 今後は情報産業を育成しなければ―。
設備を整え有力な講師を集め、情報科学専門学校が開校した1983年。後1986年マイクロソフトの日本法人が設立。15年後のウィンドウズ98のヒットを機にコンピュータは家庭にも急速に普及していく。
-1989
情報科学専門学校新横浜校開校
(現・横浜医療情報専門学校)
岩崎ファッション工科専門学校
(現・横浜デジタルアーツ専門学校)開校
―神奈川県の交通アクセスの拠点として注目される新横浜の地にふたつの学校を開校。テニスコートや体育館などを設備したキャンパスを設計し、ゆとりの心を持った感性豊かな技術者育成をめざしていく。(現・横浜医療情報専門学校)
岩崎ファッション工科専門学校
(現・横浜デジタルアーツ専門学校)開校

-1994
神奈川ニューライフカレッジ (社団法人神奈川県専修学校各種学校協会主催)開始
-1998
横浜リハビリテーション専門学校開校
―21世紀を控え、高齢化やストレスによる心の病や生活習慣病など新たな医療の課題が浮き彫りになる中、高齢者も身体的なハンディキャップを持つ方も自立した生活をおくることができる社会をめざし、リハビリテーション従事者の育成をスタートする。超高齢社会突入といわれた2007年には、県内の理学療法士・作業療法士の10%を本校の卒業生が占めるまでとなる。岩崎ともみ 学園長就任

-1999
岩崎ファッション工科専門学校より
横浜デジタルアーツ専門学校に改称
―インテリアとアクセサリーからスタートし生活を豊かに演出するクリエイターを育成してきた岩崎ファッション工科専門学校は、デジタル手法による総合デザインスクールに発展。県内他校に先駆け、アップルMachintoshを整備し、最先端の技術を持ったグラフィックやCGデザイナー、ゲームクリエイターを輩出する。2001年にはDTM機器を整備しミュージック科を開設した。横浜デジタルアーツ専門学校に改称
再就職支援訓練開始
職業人を育成する岩崎学園の教育ノウハウを地域の雇用安定にも生かすため職業訓練の実施校となる。
-2001
横浜洋裁学院より横浜fカレッジに改称
人びとの生活が豊かになり、ファッションがライフスタイルとして考えらえるようになる。本校ではファッションの専門教育を基盤に、1990年代よりメイクアップやブライダルと生活文化を豊かに彩る分野に教育の領域を拡大。2000年には、厚生労働省指定の美容師養成学科「ビューティースタイリスト科」を開設した。管轄する省の異なる学科をひとつの学校で認可を得ることは全国でも初で難を要したが、これにより洋裁学校からトータルファッションスクールへの発展を遂げる。

-2003
NPO情報セキュリティフォーラム設立
-2004
情報セキュリティ分野に特化した国内初の大学院、
情報セキュリティ大学院大学開学
―2001年アメリカで同時多発テロが発生。情報セキュリティの早急な対処の必要性を直観し、国内トップクラスの教授陣を招顎し、大学院での高度な人材育成を開始する。また2005年、文部科学省より4年制専門学校卒業生に「高度専門士」の称号付与が認定される流れから、情報科学専門学校に4年制「情報セキュリティ学科」を開設(2004年)、大学院へのキャリアパスも用意した。さらに学園自らの組織のセキュリティ環境を整備しISMS認証を取得。世界に目を向けながらも、それらに先立ちいち早く地域へのセキュリティの啓発普及活動を担うNPOを設立する。情報セキュリティ大学院大学開学
仕事のまなび場本格始動
―2003年、国から「若者自立・挑戦プラン」が纏められ、キャリア教育を通じた勤労観・職業観の涵養が推進されると岩崎学園は直ちに神奈川県専修学校協会の一員として、高校生を対象とした職業体験プログラムの開設を主導、翌年には本格始動を果たす。


-2007
横浜保育福祉専門学校、岩崎学園東戸塚保育園、
岩崎学園品濃町放課後児童クラブ開設
―長年叫ばれ続けていた少子化の問題がいよいよ深刻化する中、岩崎学園は子育て支援施設を相次ぎ開設。その中核としたのは、現場でリーダシップが取れ、保護者のサポートができる社会性の高い保育士の3年制養成施設である。一生誇りを持って取り組める仕事としての保育士の待遇改善にも取り組む。2008年のリーマンショックを発端とする不況により社会復帰を望む専業主婦の要望をうけ、ますます待機児童の課題が進むなか、量産ではない彼らの活躍が期待される。岩崎学園品濃町放課後児童クラブ開設

-2010
岩崎学園新横浜保育園、
岩崎学園新横浜放課後児童クラブ開設
岩崎学園新横浜放課後児童クラブ開設
-2012
岩崎学園新横浜第二保育園開園
情報科学専門学校新横浜校より横浜医療情報専門学校に改称
―2011年東日本大震災が発生。津波による大きな被害とともに、病院の電子カルテといった医療情報の被災が問題となる。何よりも大切な命のデータを守るIT技術者が必要ー。県内で最も古くから医療事務のスペシャリストを養成してきた情報科学専門学校新横浜校は、4年制の医療IT科を新設、横浜医療情報専門学校として新たな歩みを始める。
-2014
横浜実践看護専門学校開校
―神奈川県の人口10万人あたりの病床数、ならびに就業看護職員数は全国で最も少なく、当面、看護師不足の状態が続く見込みである現状を踏まえ、県民が求める、”質が高く満足できる看護サービス”の実現が急務となり、「看護教育の神奈川モデル」が策定された。
このような社会的背景を踏まえ、且つ、行政からの要請・要望も受け、神奈川県を中心に活躍する、高いITスキルと現場での対応力を誇った看護師の育成を目的に、横浜実践看護専門学校を新横浜に設立。 充実した環境・最新設備を整え、これまでにない国際交流プログラムを取り入れた独自のカリキュラムを構築し、学園姉妹校との強力な連携による教育の展開を行う。 
-2017
学園創立90周年
-2018
岩崎文裕 理事長就任

常に時代と共に変化し続ける教育機関へ